熊野での田舎暮らし

熊野での田舎暮らしの良さを伝えます。26年春に熊野までの高速道路が開通し、全国と高速道路で結ばれます。 熊野の自然と歴史と文化は、豊かです。じっくりと落ちついて味わってほしいと思います。 そのために様様な角度から伝えたいです。 熊野の田舎暮らしのために、農家民宿を7月から始めました。 様々な「体験メニュー」を紹介します。ホームページは、「農家民宿やまもと」で検索して下さい。

今日、ジャガイモの種芋を植えた。

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朝起きたら、霜がびっしり降りて、家の周囲全体が一面真っ白だった。予定していたジャガイモの種植えは出来るかと心配したが、その後は、太陽も出てきて、少し、暖かくなってきたので、予定通りに作業を開始。
まず、畝建てし、一メートル幅で、30センチ間隔での一条植えで、ジャガイモを置いていく。その後、ジャガイモの間に硫安を入れる。そして、ジャガイモを土の中に入れ、マルチをかけた。
芽が出て、マルチが上がってきたら、マルチに穴を開けて芽を外に出すつもり。
5畝で、110程の予定だったが、計算違いで、一畝足らず、オクラを予定していたのを減らして、彼岸までに残ったジャガイモを植える予定です。
明日は、明後日の稲荷様の祭礼に向けての「参道の大掃除」があるので、午前中はこれに参加するので、畑には午後からになる。

3/1.泊観音の「廃墟」が、撤去された。ご苦労さんでした。

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熊野古道の「泊観音道」の崩壊していた観音堂祠が、一日、ボランテイアの手によって撤去され、祠の跡からは、秘仏が納められていた岩屋が姿を現した。
観音道は、西国33カ所札所の「観音様」が石仏として置かれ、ここにお参りすれば33カ所参りと同じ御利益があるとして、昔から参詣者が絶えることがなかった。平安時代に建立されたとする比音山清水寺があり、ご本尊が「千手観音」で、今は、この下の寺に仮安置されている。
歴史的には、何度も興亡を繰り返し、廃寺になっていたのを、戦前に一人の女性が「泊観音」として再建し、お堂を建てて、堂守として、生涯を捧げた。その後、縁者のものが、堂守として続け、昭和30年代まで、続けられていたが、その後は誰もいず、結局、廃墟としてその残骸が残っていたのだが、この度、撤去されたのだ。
世話人も向井さんは「いつか、ここに仏像が納められるように頑張りたい」と決意を新たにしていると。
吉熊新聞が伝えてくれている。

3/3,=昨日、鹿の捌き方を教わる。実地研修。

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昨日、昼過ぎに畑にいると、知人から、℡。
「鹿を捌くから、見に来ないか」の誘いあり。先日も誘いがあったのだが、その時は、ニンニクとタマネギの追肥をしていたので、行けずだったので、今回は、すぐに作業をやめて駆けつける。
隣の五郷の辻本さんのところだ。
大きな雄鹿だ。見事に頭部だけを狙って仕留めていた。
とにかく、見学に徹する。作業は全く手伝わず、ただ、見て、ポイントをデジカメに納める。今まで、自分は我流でやるしかなかったので、とにかく、ベテランの捌きを見る。
血抜きが旨くされているのと、銃で、一発で仕留めているので、生臭さは全く無しなのだ。
内蔵を取り出す。肝や心臓などの食べれるものとそうでないものを分ける。
鹿を吊して、皮を剥いでいく。これも2つに分ける形で、綺麗に剥げていく。
肉を切り裂いていくのだが、これも部位ごとに綺麗に取り出される。また、足の肉を細かく、見事に分けた。これは、今まで、自分は全くやったことのない作業だ。
肉を傷めずに、捌いていくことの大事さを教えて貰う。
とにかく、見事としか言いようがない作業だった。作業の一つ一つが理にかなっており、最良の肉が生まれているのだ。
教えてもらいにいったのに、肝と足の一番良い肉を貰って帰る。
早速、刺身にして食べる。美味である。全く、臭いが無いのだ。
写真に記録したので、何度も見て、コツを掴むことだ。
ギャラリー
  • 梅雨明けが、待ち遠しいです。7月は、まだ二日しか、山での剪定作業は出来ていません。
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  • 7月16日から、「甘茶の加工場と作業所、そして、交流の場」を、開設しました。
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投稿 by Kiyotsugu Yamamoto.