
中学時代の友人が、直前になって、対立候補として出ることを決めた。全くの想定外の事態であったが、事情を知り、彼の決断を積極的に支持することにして、協力することにした。知っている人への声かけと、彼が作ってきた議会報告機関誌「清流」の集落への全戸配布と、選挙ポスター貼りぐらいだけだったが、
開票結果は、5799対4516で、敗北。大方の予想をはるかに上回る得票であった。
常識的に言って、全く準備もなく、候補本人と候補者と一心同体で頑張る支持者との二人だけの体制での選挙でしかなく、「無謀」というレベルのものであった。地元紙が「孤軍」と形容するしかないものであった。が、結果は、彼が「こんな私を支援してくれた4割を超す市民がいたと言うことは、(熊野市には良識が残っていた)と心強くなりました」。とコメントしているが、まさに「熊野市民の良識の勝利」と言えるものでした。
市長は全くなんの反省もしていません。有権者総数の36%の支持しか得ていないと事実を平然と無視しょうとしています。
が、公然と上げられた市長への批判の声は、もう消せないでしょう。今まで、ほとんど沈殿するしかなかった、市長への批判はこれからは公然たる批判として噴出すると思う。
官僚出身市長は、官僚の描く絵に沿ってしか市政を運営することはできません。がそんなものは、全くのご都合主義的な無責任なものでしかないことは、日本全国の地方の崩壊、農業、林業、漁業の衰退の歴史と現実が明らかにしています。
熊野市でも同じです。来年春の高速道路開通は、熊野を日帰り圏として「つまみ食い」の対象として利用され、切り捨てられることになるのは明らかです。官僚市長はこの道を掃き清めることしか考えていません。市職員を道具の駒のように扱い、自治の担い手としての尊厳も能力も奪うことしか考えていません。過疎化と高齢化が進む自治体では、自治体職員の存在は決定的です。
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