3/6付けの地元紙の「吉熊新聞」に記者会見の記事が紹介されました。
もう、後10日もありません。
写真はほぼ、揃えました。後は、この写真に説明を付けることと、辻本語録とも言える辻本さんの想いを伝える文章の作業が残っています。
この作業が1番大切なのですが、大変です。時間に追われています。
辻本語録のポイントを短文で紹介します。
「杉・檜の山作りでは山を崩壊させるだけだ!」と
、昭和30年代から40年代の初めに、営林署での「拡大造林」の作業の中で、掴んだとのことです。
中学を卒業して、営林署職員として働き出した若者だった辻本さんは、30年後、40年後、50年後の今の杉・檜の人工林政策の危機を掴んでいたのです。
そして、その中で、林野行政の官僚や、大学の先生達の無責任さをイヤと言うほど味わってきています。
この「杉・檜の山では山を壊すだけだ」という想いは実に深い物があると私が思います。
戦後日本の「杉・檜の拡大造林の人工林政策」は、根本から見直し、新たな方策を打ち出すことが求められていると思います。弥縫策ではないものだと思います。
「森林の多面的機能の発揮」という事で糊塗して、乗り切れるようなレベルではないものが求められていると思います。
「林業関係者という世界だけ」では、解答が出せないと思います。
辻本語録では、
「林業は今、始まったばかりなのだ。林業はこれからなのだ!」
と言っています。「農業や、漁業は、『自らが働いて創ってきている。が林業は今までそうではなかったのだ。山所有者が自ら山に入って働いて創ってきたと言う事がほとんど無い。所有と生産とが違ってきていたのだ。自然を相手にするためにはこのような在り方では駄目だ。その意味では林業はこれからなのだ。今、始まったばかりなのだ」と辻本さんは語っています。これも含蓄のある言葉だと私は感じています。
3/18,19,20、熊野市文化交流センター、
3/22~4/3。尾鷲・熊野古道センター。
是非、足を運んで下さい。
これ以降は予定がありませんので、希望があれば貸し出しますので、是非、皆様も企画して下さい。
180×120のパネルで両面使えば、13~15枚で収まると思います。
三ツ口山での「100年計画の人工の自然林造り」は、大きく「保育の段階」に入ってきたようです。
この間、山は凍結で土が固くて、実を地中に埋めるという作業は出来なかったので、管理道の整備や、荷揚げ用の「架線設備」の撤去をやったとのことです。山に架けられていた長さ2600メートルの架線が完全に姿を消したとのことです。全く、何の痕跡も無いようです。資材は全て、山小屋に収容したそうで、必要になったら何時でも使えるようにしているとのことです。
この3月は、実を種として埋める作業はあるそうですが、山は大きく「保育の段階」に入ったとのことです。確実に一歩一歩進んでいます。
後数年先には山が緑で蔽われるだろうというのが本当に見られそうです。
この間、辻本さんは山歩きの安全確保の為に、貴重な時間を割いて、「滑り止め」や「ロープ」の設置をやってくれました。
本来ならば、「守る会」の責任と仕事なのですが、力が無くて、本当に申し訳ないです。