熊野での田舎暮らし

熊野での田舎暮らしの良さを伝えます。26年春に熊野までの高速道路が開通し、全国と高速道路で結ばれます。 熊野の自然と歴史と文化は、豊かです。じっくりと落ちついて味わってほしいと思います。 そのために様様な角度から伝えたいです。 熊野の田舎暮らしのために、農家民宿を7月から始めました。 様々な「体験メニュー」を紹介します。ホームページは、「農家民宿やまもと」で検索して下さい。

2022年05月

甘茶の花が咲いた。大慌てで、摘む。5月29日。

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5月29日。朝から、甘茶の株の移動の仕事する。
甘茶の花が咲いている。油断しているうちに、花が咲いてしまっている。が、甘茶の花が美しいが、甘茶は、葉が命。花に栄養が回ると葉には栄養が行き渡らない。甘茶に花がつき始めたら、すぐに摘花が第一です。


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庭のツツジに赤い花が咲いた。白い花よりは、だいぶ遅れて咲いた。
梅の実がだいぶ、大きくなってきた。大量に実が落ちてしまったが、今年も、間もなく、梅酒作りで、6月下旬からは、梅干し作りです。

糖質ゼロの天然甘味料の甘茶生産事業は、若手で、再出発


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私の不注意で、昨年3月30日、山で「滑落事故」を、起こし、「頚髄損傷」で、春、夏の6か月間の入院生活を経て、昨秋に退院しました。杖を使えば歩行はできますが、現場復帰は無理です。
山で自生している甘茶株を引き抜いて、圃場に移しての甘茶生産事業は、一年遅れでの再スタートで、始まりました。
熊野に移住してきていた若者の細川君が、「何とか、事業の継続を」と、頑張ってくれて始まりました。

一年間、植えていた甘茶は、手入れができずに放置されていました。約2反部の圃場で、数千株が植えられていましたが、生き残ったのは、一反部で、2千株ほどでの再スタートです。
細川君は、「商品」を作りました。一缶30グラムで、とりあえず、200缶ほどが出来ました。試験的に販売を始めました。どうぞ、よろしく。

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上のプランターの写真は、生き残った甘茶を、移し替えるために引き抜きました。雑草の間でも、元気に育っていました。
この甘茶を家の庭にでも植えてみたいという方がいましたら、連絡ください。お分けいたします。
ただし、寒いところのものですので、陽が強い海の地方はダメです。木々に挟まれて、日陰のところが良いです。50センチぐらいの株間で、畝幅が1メートルほどあれば十分です。


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上の写真二枚は、圃場で、昨日写しました。

ミャンマー国民の闘いへ、全力で支援を!

国軍擁護の日本政府の態度の根本的転換を!

問われているのは、日本人。

5月1日、メーデ。5月3日、憲法記念日、5月15日、沖縄の日、と、
大きくは戦後革新の日が連続した。今年は、7月参院選が目前に迫っているので、少しは、
緊張が高まるかと思っていたが、全く、ダメだった。
ロシアのウクライナ侵略には、「反戦」の声をあげたが、ミャンマー国民の闘いについては、一言もふれることもなく、完全に現実からの逃亡という姿を明らかにした。

日本政府=歴代自民党政権が、2011年以来、ミャンマーの開国を最大のチャンスとして、ODAをもってする「最後のフロンティア戦略」が、2021年2月国軍のクーデターで完全にデッドロックに乗り上げ、展望が見えなくなったなかで、国軍との共同事業という戦後一貫した対アジア政策が、根底から問われれているにも関わらず、旧態依然とした国軍擁護しか考えらず、全くの統治能力の無能さを暴露しているときに、この日本政府の統治の危機という事態に対して、全く無反応なのだ。
ミャンマー国民の闘いは、ミャンマーのみならず、アジアと世界の平和にとっても死活的な課題を、引き受けての闘いである。

日本政府の対ミャンマー戦略は、2016年の安倍の「開かれたインド太平洋戦略」=の要であり、柱である。
ミャンマー軍との共同事業の展開は、そのことの絶対保障である。軍擁護は、自民党政権の絶対的ともいえる政策の柱である。
中国とせめぎあって、国軍との軍事同盟を結ぶことを目指しての展開である。渡辺と笹川を配置し、財界を総動員した体制は、その為の展開である。日本政府のミャンマー国民の「国軍打倒」は、国軍以上に憎悪の対象なのだ。
ミャンマー国民の求める「軍打倒=軍解体」の闘いは、アジアに平和と共存を真に実現する新たな闘いである。中国の「一路一体」は、アジアの平和と安定はもたらさない。ミャンマー国民は、中国の関わり方をよく理解している。
ミャンマー国民の闘いをマレーシアが、支持したことは、重大です。ミャンマー国民の「軍打倒」が、アセアン内部に拡大することは、新たなアジアを開く闘いの始まりです。

自民党のミャンマー政策は、ミャンマー国民によって、完全に拒否されています。ミャンマー国民の闘いを全力で支援する闘いは、日本を変える闘いです。戦後日本が、歩んできた道は、「戦後憲法の矛盾」をはらみながら、国際社会での一定の地位を確保してきたと思いますが、今、根底から、日本の進むべき道が問われています。
ミャンマーを巡る闘いは、そのことを問うています。「護憲」でしか対応できない戦後革新は、もう、終わりです。
新たな闘いが必要です。アジアの民衆と結ぶ道を目指して、戦うべきです。

軍によるクーデター強行以降、日本政府は、ほとんど何も語ってはいません。全く、異常事態です。
2011年以来、政府と財界は、一種、異常な興奮状態で、ミャンマーに乗り込んだ。5000億円の借金をチャラにして、2兆円を投入し、400社以上が進出して、まさに「最後のフロンティア戦略」として、国軍との共同事業にある種の「挙国一致体制」で進出した。が、当の国軍は、国軍が国家・社会の上に立つものとしての自己の権力維持が、第一義的な生命線であった。開国が、アメリカを先頭にしての経済進出で、軍が、経済の実権を握り、巨大な利権を確保していたにもかかわらず、民主化を抹殺する道を選んだのだ。それは、絶望的な道であった。戦後のアジアは、「開発独裁」をもって、発展の道を進んできた。その過程は、「民主化」の一定の前進を不可避としてきた。軍部が、最後の権力保持者としての位置を不可避としているが、しかし、軍が、国家・社会の上に立つというのは、クーデターとその後の一定の段階までで、永続的にではなかった。がミャンマー国軍は、その点では、他の諸国とは違っのだ。が、日本政府は、とにかく、軍が「権力を握っている」ことが、一切だった。
日本政府は、軍が、国民によって、拒否されるという事態を全く想定していなかった。いずれ、事態が収束されるということ以外は、全く、想定していなかった。その意味では、日本政府の認識は、国軍と同じだったのだ。
日本政府は、完全に事態を理解できていないのだ。国民の闘いに、一定は、関心は持つものだし、保険という点でも、一定の接触があるだろうと想定されるのだが、事、ミャンマーに対しては、軍と同じ認識であり、「テロリスト」として、「破壊者」として、見ているのだ。
現実には、国軍は、ロシアと中国だけを唯一の支持者と見ているし、事態の推移は、「国を売る事態」としてである。日本政府に与えられるている位置は、このロシアと中国の後ろで、一定の位置を貰うだけでしかない。が、それは、日本のほとんどの企業が撤退するしかないでしょう。ロシアと中国の後ろに続く、カンボジアや、ラオスやベトナムと同じ状態では、日本のおる位置が無いでしょう。
ロシアと中国が支えるミャンマーの未来は、アジアにとっては、絶望です。
アメリカも、結局は、影響力を失うでしょう。
日本にとっても、アジアの信頼を失うことは絶望です。日本政府の現実は、それしかありません。絶望的事態です。
今こそ、マレーシアの選択に学んで、日本政府の誤りを根本的に転換し、ミャンマー国民の軍打倒の闘いを、全力で支援しましょう。今、日本では、圧倒的に少数派でしょう。が、歴史的選択としては、圧倒的に正義です。

私も、少額ですが、支援の輪に加わりました。連れ合いが母親からもらった指輪を売りに出して、10万円を手にしました。連れ合いと二人で、10万円を提供しました。
ほんの少額です。昨年の山での滑落事故で、「頚髄損傷」で、歩くことはできますが、それ以上は動けません。街頭にも立てません。また、甘茶生産事業を展開していましたが、自分は、動くことはできません。若者が、後を引き継いで頑張ってくれています。
が、国の補助金580万を受けての事業でしたが、昨年一年間は、実質的にストーップで、予定が遅れていて、最悪の場合には、補助金の返納を求められるかもという事態なので、余裕がありません。
皆様のも、よろしくお願いします。

一般社団法人 日本ミャンマー友好協会(JMFA)
日本ビルマ救援センター
ISMSP(International Society of Myanmar Scholars and Professionals)
 
問い合わせ:tokyokizuna8@gmail.com

ですので、


ミャンマー国民の闘いが、情勢を動かしている。続き、3.

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軍のクーデターから、1年と3か月が経過した。国軍は、軍政体制の完全復活を目論んでクーデターを強行した。が、国軍は、逆に国民の10年間存在した民主国家を、軍から「奪還」する闘いに追い詰められている。
ミャンマーに求められているのは、軍を国家の法治の下に置き、民主化の徹底と、民族の自決権を基礎にした民族の共存を保証する連邦国家の建設である。
軍のクーデターは、約半世紀続いた「暗黒社会」の復活であり、それは、ミャンマー国民だけでなくA.S.E.A.N.-アジアと世界の希望を打ち砕くものであった。
ミャンマー軍は、歴史的に「特異な存在」であった。国家・社会の上に立ち、絶対者としての位置を確保し続けてきた。1987年には、「最貧国」指定を受けるところまで、停滞と暗黒の社会のままに置いてきたのが、軍であった。
ミャンマー国民は、50万軍隊を相手に、軍を追い詰めている。「内政不干渉」を持ってA.S.E.A.N.諸国からの追求を拒否してきた軍は、国民の闘いで追い詰められ、ロシアと、中国と、日本の軍擁護だけで、蛮行を重ねている。
が、遂にA.S.E.A.N.内部から、マレーシアが、「軍を拒否し、国民とともにある」と、態度を表明した。
事態が動いたのだ。
国軍を支持し擁護し、国軍が権力を握ることを容認するロシアと中国と、日本は徹底的に断罪されるべきだ。
カンボジアの軍擁護の策謀は許されない。

日本政府の軍擁護の態度は、完全に破産している。「最後のフロンティア戦略」は、軍擁護ではなく、ミャンマー国民と歩むことの中にあるのだ。国軍との「共同事業」を絶対化した経済進出は、軍によって、破壊されたのだ。ODAをもってする経済協力事業は、軍との「共同事業」を絶対化することで、ミャンマーの国民の存在を完全に無視してきたのだ。それは、戦後日本の経済発展の歴史であった。だから、軍との共同事業を絶対化してきたのだ。
問われているのは、日本の軍擁護を絶対とする方策なのだ。

軍の存在が絶対なのだ。それ以外のことは、完全に考えられないのだ。事態を掌握する力を完全に失っているのだ。ミャンマー情勢に対しては、完全に統治能力が崩壊しているのだ。ただただ、軍擁護だけしかないのである。軍が、「最後のフロンティア戦略」をクーデターによって破産させているという現実を認めることしかできずに、完全に情勢に対応能力を崩壊させているのである。
軍擁護が一切なので、ロシアと中国の軍擁護=軍体制支持に追随するしかないのである。軍は、追い詰められているので、「ロシアと中国に国を売って、軍だけが生き残ること」を、選択している。それだけが唯一の道なのだ。A.S.E.A.N.諸国に、ロシアと中国に国を売った軍を認めるのかどうかが、問われている。
岸田首相は、ロシアのウクライナ侵略に対して、大騒ぎしている。それは、ミャンマー情勢に対して、方針を持てない現実を胡麻化すものとして、異常に騒いでいるのである。
3月のカンボジア特使派遣を、「少数姻族との和平交渉」で、笹川氏を「使って画策」したが、完全に失敗した後をうけて、中国がアセアンに代わって、公然と軍擁護を明確にし、軍を国家代表として正式に承認して、A.S.E.A.N.諸国の同意を取り付けようとしている。
日本政府は軍擁護が基本であるから、完全に中国の後ろにつくことしかできないでいる。が、それは、完全に日本が、A.S.E.A.N.諸国から信頼と信用を失うことにしかならないのである。
岸田は、4月29日から、5月6日まで、インドネシア、ベトナム、タイを訪問したが、一番最大のテーマーであるミャンマー情勢に対しては、何も主張できなかった。
ミャンマーの隣のタイとの間では、真剣な議論が問われていたが、「意見交換」だけしかできなかった。岸田は、3月の「特使派遣が、事態打開への第一歩である。今後もアセアンの取り組みを後押ししていく」というほとんど意味のない発言しかできず、完全に情勢に対応する力を持たないことを自己暴露した。
キリンビールの撤退に続いて、三菱商事、エネオスと撤退に追い込まれている。個別企業が、撤退を迫られている中で、日本政府は、「経済制裁はしない」という態度を維持し、軍擁護、軍との「共同事業維持」に必死になっている。
ミャンマー「国民統一政府」からの要請にも全く対応していない。完全に軍の立場で、ミャンマー国民を見ているのである。とんでもないことである。ロシアと中国の後ろから、軍擁護で、ついて廻ることしかできない日本政府の態度は、アジアの人々から、完全に見放されるのは明白だ。
日本ーミャンマ協会の渡辺が5月、2,3,4,5とミャンマー訪問して、国軍大臣と会談し、経済、財政、農業の分野での協力体制について、協議している。
また、防衛省は、国軍の士官候補生5名の「留学」を受け入れている。軍との関係維持に必死である。
アセアン内部から、軍拒否、国民支持を明確にした動きがついに始まった。
マレーシアが、態度を公然と打ち出した。
日本が問われている。

ミャンマー国民の闘いが、情勢を動かしている。続き2号

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マレーシア外相「今後、軍評議会との関係を断ち、国民統一政府とだけ協議する」と、発表。5月14日。

サイフデイン外相は、5月14日、
「胸襟を開いて話し合うことができ大変有意義なものだった。軍評議会による政府は承認しない。今後、国民統一政府とだけ関係を継続する。マレーシアは、ミャンマー国民の側に立っている」と、明らかにし、「A.S.E.A.N.合意から、一年が経過したが、何一つ成果が出ていない」とコメントした。

ミャンマー国民の闘いが、遂に、A.S.E.A.N.内部から、応える国を生み出した。
アセアンが、「地域の安定と強調」を掲げて、統一した地域共同体として成長してきた。その内部は、それぞれの歴史的状況により、発展、成長過程の違いを「内政不干渉」で、乗り越えてきた。
ミャンマー国軍のクーデターに対しても、この「内政不干渉」を尊重しながら、解決を模索してきたが、国軍の行動は、この「内政不干渉」を盾にして、国家、社会を簒奪を開き直るものであった。
遂に、一年の闘いを通して、国軍を打倒することが、「ミャンマーとA.S.E.A.N.にとって、求められていることなのだ」ということが、明確にされたのだ。

「民主主義の徹底化」と、「民族の自決権を基礎に置く、共存の追求」を、根底にした新たなミャンマーとA.S.E.A.N.の建設が、始まるのだ。

マレーシアの決断を断固として、支持しょう。
日本政府の態度が問われている。マレーシア政府とともに動きべきなのだ。
この機会の逃すべきではない。根本的な転換が求められている。

ミャンマー国民の闘いについて。

〇 一年と3か月の闘いは、国民の団結を強め、ものすごい犠牲と苦闘の連続の中で、確実に力をつけてきた。

市民防衛隊(PDF)は、全国333郡の内、250郡に、257団体が設置されている。
その上に、都市ゲリラ隊が、400団体が存在している。

ザがイン管区37郡の内、29郡を、マグウエー管区では26郡の内、7郡で、独自の地域共同体を組織して、地域を管理している。

警察から、2937人が離脱し、市民不服従に参加。
国軍からは、1万に近くが離脱し、市民不服従に参加。

戦闘で、国軍兵士13602人死亡、負傷者4280人を強制。
およそ、44億2000万円の資金の提供で、85%を武器購入に当てる。

市民1673人殺される。内女性156人、子供123人が殺される。
11,449人が逮捕。1977人が、潜行中。が、この数字は少なく、不正確です。

生活の場から、追い出されて、避難している人は100万に達している。

〇 国軍呼びかけの「和平交渉を拒否」
全ビルマ学生民主戦線(ABSDF),チン国民戦線(CNF),カチン独立機構(KIO)、カレン民族同盟(KNU)、カレンニー民族進歩党(KNPP)の5つ。
現実に国軍と戦闘している団体が全て、拒否。
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投稿 by Kiyotsugu Yamamoto.